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別れの季節 始まりの季節 [介護]

3月末に,父が亡くなりました。

状態が悪いということで,早めに帰省して見舞いに行くと,心拍数などの測定器が常置されており,予断を許さないことがすぐに分かりました。

つい1週間前に見舞ったときにも,頬はこけて目は窪み,衰弱はしていましたが,呼びかけにも声を出して反応し,まだ半ば無意識的に手を動かしており,熱と戦っているという感じでした。
しかし,今回,見舞ったときには,顔色は落ち着いていても,もう瞬きする力もなく,点滴や酸素吸入の力で保っている様子でした。
僕や身内が顔や腕をさすって呼びかけても,この声は届いているのだろうかということさえはっきり分かりませんでした。

それでも,この超低空飛行状態で数日維持しており,このまま持ち直してくれるのではないかとさえ期待しました。この調子があと数日続くようならいったん福岡に戻ろうかとも考えました。その間に呼び寄せた僕の姉や妹がかけつけたときには脈や血圧が乱れたことから,ちょっとどきっとしましたが,むしろ,全く意識が途絶えているわけではなく,僕たちのことを気づいているのだと安堵しました。そして,今もなお意識を持って生きようと頑張っているのだと改めて感じられました。

父の姿は,全速力で走り続けているマラソンランナーのようでした。

身内全員が見舞いを終えた夜の未明,母だけが見守る中で息を引き取りました。
若い頃看護師をしていた母が,見たことがないというほど安らかに眠りにつくような最期だったそうです。

全員の見舞いを知って安心したのかもしれません。
子どもたちにちょっと安心させておいて,母だけの前で逝ってしまうのは,父らしい優しさのような気がします。


父の介護らしい介護もしないまま,ただ見舞いに行き続けることしかできないまま,僕の介護は終わりました。
ただ,全力で走るように生きていた父の姿だけは,忘れることはできません。


あのような生き方を,僕もしなければなりません。


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